4 Nov 2025
11月4日。
食べられていなかった母が度々立ちくらみを起こすようになっていた。座っているのも長時間はつらくなり、横になれるかと聞いてくるほどだった。でも食べると気持ちが悪くなると言う。
それでも今日は父との今生のお別れになるので、朝は何とか固形物も食べていた。
夫は急いでフォーマルウェアを持ってきたものの、アンダーシャツとワイシャツを自宅に忘れてきていた。父のものでまだ新品をもらって着ていた。妹は急変の知らせで急いできたため、持参できなかった。
家族葬ホールに着くと父に会いに行った。昨日と変わらない穏やかな顔。
担当の方から声をかけられ、自宅でお線香をあげる時に使う線香立てなどのセットをどうされますかと聞かれた。昨日の打ち合わせの時にチラッと話が出た記憶はあるが、料金のことも言っていなかったので、自分たちで用意する物だとばかり思っていた。そのセットも料金の中に含まれており、設置を担当の方がしてもいいですかとの確認だった。買いに行かなくてもよくなったので、安堵した。
少し経ってから出棺の支度を葬儀社の方と一緒に行っていく。
花を顔の周りから胸にかけて置いていった。
足袋を足の上に乗せ、脛当てを脛の上に置き、手甲を手の上に置き、六文銭を袋に入れて懐に入れ、杖は左利きだったので左に置き、数珠は喪主が手の上に乗せ、おでこの三角は母が嫌がったので枕元に置いた。草履を足袋の上に乗せる。その上に帷子を広げていく。泣きながら置いていったので、涙が落ちてしまったかもしれない。
業者の方が作った(個別に手作りと聞いて驚いた!)袴と羽織と帯は、業者の方が綺麗に整えて置いてくださる。最後に帽子と黒ニンニク(口の横)を置いた。喪主が置くものが決まっていた。
最後に棺の蓋を遺族で乗せる。
霊柩車は国産の車と打ち合わせていたが、ベンツだった。喪主の母が遺影を持って霊柩車の助手席に乗った。
霊柩車のあとをついていって火葬場へ。とても綺麗なところだった。
喪主の母が呼ばれて埋葬許可証などの書類を受け取る。
火葬の前に最後のお別れでお焼香をした。棺には蓋をしているため、顔の部分の扉からしか見られない。本当に最後。もう顔を見ることはできない。お父さん、さようならと声をかけた。
火葬が終わるまで1時間半くらい待った。その間に精算を済ませる。霊柩車がベンツだったので聞いたところ、1台空きがあったのでサービスですということだった。
昨日の打ち合わせでは香典のお返しは用意しないとなっていたが、お線香をあげにきた人から頂いてお返しがないのもあまりよくないと話し合い、また夫の職場から3件お香典をいただいているので、やっぱり用意しようということになった。
火葬が終わり、お骨上げをする。骨壷の蓋の裏には、父の名前と亡くなった日と年齢を私が書いた。
父の骨を見て、足の関節が全体的に非常にしっかり残っていると思った。
先に係の方が頭のてっぺんと喉仏と下顎の骨を取り、それを最後に喪主に骨壷に納めてもらうと説明を受けた。足の方から順に遺族が骨を箸で取り、喪主が箸で受け取って骨壷に納めていく。落としそうでなかなか難しく、全てやったらどれくらい時間がかかるかと思った。途中で係の方が、あとはお手伝いしてもいいですかと声をかけてくださり、丁寧に早く納めていった。母は時々骨壷に納めるのを見に行き、上手に納めるのねぇと感心していた。父の骨は多くて普通に入れていったら納まりきらないので、係の方が聞いて押して砕いていた。最後に喪主が喉仏、下顎、頭骨を壷に入れ、係の方が箱を白い布で包んだ。
遺影を喪主が持ち、お骨を妹が持ち、花束を私が持った。そして父は家に帰った。
昨日は天気雨で、雨は時折横殴りになるような強さだった。今日は昨日とは打って変わって吸い込まれそうな晴天。実家から普段眺めている山が、裾野からはっきりと姿を現していた。父の旅立ちの日の晴天。これは父の人徳なのだろうか。
以前聞いたが、死後硬直が解けたあとの顔は、その人の本来の徳が人相に現れるそうだ。父は穏やかな、微笑みを浮かべるような表情だった。生前の様子からして首を傾げてしまうが。
しばらくして葬儀社の担当の方が来られて、安置場所に棚を組み立てて仏具をセットしていった。少し高さがあるので、立ってお線香を上げることにした。お茶をお出しして少し話をして担当の方は帰っていった。
もし自分たちで買うのだったら、お骨を持ったままお店巡りをしなければならない。お骨を持って車の中で待つ必要があるので、ちょっと大変だった。セットには含まれていない細々とした物は買い足していくことにした。
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