のんびり、ゆったり、日々のつれづれ

父が亡くなる

11月2日朝方。
母から私の携帯に電話がかかってきたが、出ても切れてしまった。掛け直しても出ないので、もしかしたら何かあったのか、自宅の電話にかけてきていないか確かめたら、数回かかってきていた。自宅電話から掛け直しても出ないので、妹に何かあったかLINEで聞いてみた。
10分程して妹から折り返し電話があった。声の緊張感から覚悟しなければならないことを言うのかと察すると、父が亡くなったという内容だった。
自宅で急変し救急車で病院に運ばれたが間に合わなかったと。病院名を聞いて、夫に伝えた。一緒に行かれるか聞くと、今日は2人しかいないから抜けられない、休みが取れるか聞いてあとで追いかけると言ってくれた。
私も夜勤の勤務予定だったので職場に連絡し、急遽休みを取った。数日泊まるので急いで支度をし、車を出した。
早く行きたい時に限って渋滞に巻き込まれるものだ。事故渋滞20kmの通過に70分。高速が混んでいたら下道も混んでいる。辛抱強くノロノロ運転をしているとLINEや電話の着信音が鳴った。渋滞をやっと抜けられ、SAで確認すると職場や妹、夫からの連絡だった。妹からは葬儀場に父を運んで実家に戻ったこと、夫からは着信のみ、職場からは休みの調整をするので予定がわかったら連絡が欲しいという内容だった。
すぐに夫に電話をすると、休みがもらえたので電車を乗り継いでこれから行くと言った。妹に葬儀の日程を聞いて折り返し夫に連絡をした。職場の上司に電話するが留守電になったので用件をメッセージに残した。
すぐに再出発するが、またまた事故渋滞。先ほどの70分ではないが、それでも30分は渋滞にはまってしまった。
ようやく実家に着いたのは、自宅を出て5時間後。

妹が外に出てきてくれた。リビングに座っている母の顔が見えたが、生気がなく人形のようだった。今までのことをゆっくりと話してくれた。
父は先週出かけた先で非常に寒い思いをし、その2日後にかかりつけのクリニックでインフルエンザの予防接種を受けた後、熱が出てきた。翌日には38度を超える熱になり、コロナと診断され薬を飲んでもまた熱が上がった。痰が絡んで咳払いが頻回、それでも食欲はあった。1日の夜から痰絡みの咳が徐々に減って、父の食欲がなくなった。
4時ごろ、母を呼ぶ声が聞こえて父の様子を見に行くと、苦しいから救急車を呼んでくれと言った。母はすぐに呼んだが、外が真っ暗なので救急車を誘導するために外に出て、救急隊が父の部屋に入った時には、父は眠ったようだった。母が父を呼んでも反応がなく、呼吸が止まっていた。すぐに救急隊が蘇生を始めたが、近くの総合病院はコロナの受け入れができず、1時間強離れた市立病院に搬送することになった。搬送中、搬送後も蘇生が続けられたが、もう見込みはなく、医師から状況を説明され、母は納得の上で死を受け入れた。医師ははっきりとは言わなかったが、おそらく自宅で、母が救急車の誘導で外に出ていた間に亡くなったようだった。死因はコロナによる肺炎だった。
妹は4時ごろ母からの連絡を受け、取るものもとりあえず車を出したが、高速を運転中に電話が鳴って緊急で路肩に車を止め、父が亡くなったと聞いたと言った。そんな状況でも市立病院に行き、葬儀社の担当者と今後の話をし、母を連れて実家に戻った妹はすごいと思う。

上司からかかってきたときはこちらが運転中だったりしてうまくいかなかったが、4回目の電話でやっとつながり、状況を話せた。忌引きは当日含め4日間、休み明けの出勤日も確認ができた。夫からも最寄駅に電車がつく時間の連絡が来たため、夕方になって駅に迎えに行った。
夫が来て気が張ったのか、朝から白湯しか飲めていなかった母が、好物のプリンを食べられた。
父がコロナになり6日経っていたため、母に体調を聞くと熱はない、咳が出るのはアレルギーだと言っていた。私自身2回コロナにかかっているので、発症したらどのようになるかわかっていた。ただ、今の母の高ストレスで食べられない状態でコロナになってしまうと、かなり重篤になるのではないかと心配だった。自宅に抗原キットがあったのを持ってこれば良かったかなとも思った。

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