のんびり、ゆったり、日々のつれづれ

4年前、2011年3月11日。
その日は休みで夫も家にいました。
テレビを見ていたら緊急地震速報が鳴り響いてジワリ、と揺れました。
いつもならジワリジワッ、ユラ、ユラユラ・・・くらいで治まるものが、どんどん揺れが大きくなって家中がガタガタと音を出しはじめ、棚にあった写真立てが落ちて割れました。
夫は食器棚の扉が開かないように押さえており、私はテレビが倒れないように押さえていました。
中のものが崩れてきたら割れて危ないですね。
揺れの最中にブツッと音がしてテレビが消え、停電しました。
ガラス戸はガタガタと音を立て、家中がミシミシと音を立てて3階建ての我が家が途中からボキッと折れるのではないかと思うようでした。
かなり長い間揺れていましたが、だんだんと揺れが小さくなり、船酔いしているような感覚が残りました。
地震が起きればテレビで情報を確認していたのが、今は停電で何もわかりません。
すぐに家中を見て回り、扉や引き戸が開くか、見える範囲で家に異常がないか確認しました。あとから気づいたのが、壁紙に横一文字に破れが入っていました。ちょうど階と階のつなぎ目のところです。
夫は玄関から外に出て近所まで様子を見に行き、信号が点いていないという情報を得て戻ってきました。
家だけでなく、一帯が停電しています。
固定電話は停電のため使えません。
携帯電話は残りの電池が50%を切っていていざという時のためにとっておきたいと思いましたが、一応家族にかけてみました。混みあっていてつながりません。とりあえずメールだけ送れました。
ウォークマンはラジオも受信できるのでつけてみると、東北で甚大な被害が出ている、地震だけではなく津波も発生していると知りました。
電気は使えませんが、ガスは使えたのでお湯はやかんで沸かしました。ご飯も炊けず、でも炊けたとしても食べる気にはなりません。
だんだん日が暮れてきて、街灯もつかないのであたりは真っ暗です。こんなに暗かったのか・・・。
手元に懐中電灯を置いて、できることもないので早々に布団に入りました。
枕元には衣類をセットしました。
夫はその日バイトが入っていて、大変だろうからと夕方から出て行きました。余震が続く中、家にひとりでいるのはとても心細かったです。
窓から外を見ると、さっきまでは点いていなかった明かりが遠くのマンションで点きました。この一帯もそろそろだろうかとずっと外を眺めていました。
21時過ぎにフッと電気が点き、外にいた人たちが歓声を上げているのが聞こえました。
すぐに充電できるものは充電をしました。そしてテレビをつけた途端、真っ黒の水が畑を覆っていく映像が映し出されました。
津波です。
今まで津波は大きく盛り上がってザバッと流し去っていくものだと思っていましたが、あんなに静かに恐ろしく飲み込んでいくんだと呆然としました。前年のスマトラ沖地震の津波よりも大きい衝撃です。

夫の父方の実家が気仙沼で、詳しいことは私には伝わってきませんでしたが何らかの被害があったそうです。

それから4年。
我が家では防災としての備えが整えられたかというと、まだまだ不十分です。仮に備えができたとして持って逃げられるかわかりません。

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